気がつくとそこは小学校の一角だった。緑色で少し煤けた滑りにくい廊下と、手洗い場。蛍光灯は時折チカチカとして白い引戸の教室が立ち並んでいる。私は何故ここにいるのか全く思い出せなかったが、不思議と嫌な心地はしなかった。少し歩くとひとつだけ扉が空いた教室がある。なんの部屋かと看板を探したが3-2の教室であることしか分からない。でも私はなんだか疲れていたから休憩がてらこの教室でやすむことにした。

中を覗くと机の上、床、ランドセル棚、教室中のあらゆるところにものさしや定規、壊れた体重計が所狭しと散らかっている。窓からは斜陽がそそいでいる。うん、まあ、いいか。中に入るとぴしゃりと音を立てて扉が閉まった。床が見えないほどに散らかってはいるが休むだけなら問題はなかろう。そう思い椅子の上のものさしを払って腰掛けると、今度は古ぼけた黒板が目に入った。

 

『じぶんをはかってみよう』

 

女性の字だろうか。流麗な文字で、ただひとつ、それだけが書かれていた。はかる。さて、どの『はかる』だろう。図る、測る、計る、量る。平仮名ということはなんでもいいのだろうか。そばに落ちていた定規を拾い上げ適当に腕に当てるが、見ると定規がまっぷたつに折れている。次の定規を拾うと目盛が乱れていてとても使えない。次のものを拾うと目盛すら書いてない。見ればこの部屋に散らかっているものさしや体重計、全て使い物にならないものばかりだ。

「変な教室だなあ。」

ふてくされて足を組んで頬杖をつく。これだけ道具があるのに役に立ちやしない。ふと、後ろから声が聞こえた。振り向くと若いスーツの男が教室の後方に立って何かぶつぶつと喋っている。つい先程までこの教室には私一人だったのだが、どこから入ってきたのか。しかしこの男は私に気にもとめないようすで虚空に向かってぶつぶつとつぶやくのだった。

「私は素晴らしい人物ですよ。将来有望で、給料も安定。職場でも人気者なんですからね。」

そりゃあ、アッパレなことだな。そんな男の話が続いたあと、彼は満足げな顔をしてふっと消えた。視界からというよりは文字通り空間から一瞬で消えたのである。幻影か何かだったのだろうか。頬杖をついたまま手に持った定規をながめる。これは…目盛の幅が不揃いで使えないらしい。なんだかめんどくさそうな教室に来たものだ。そんなことを考えていたら『じぶんをはかる』人々が現れては消えていった。

 

「こんなにいい成績をとったのだから僕は偉いんだ。」
「あんな失敗をしてしまうなんて、自分には向いてないのかもしれない…。」
「またこんなことしてしまうなんて、俺はダメな奴だな。」
「少なくとも周りの子に比べたら私が一番かわいいわね。」
「私にはこんなに長所がありますので弊社にぴったりですよ。」

 

はかるもののないこの教室で、そのようなセリフは随分滑稽に見えた。休みもとれたし、飽きてきたから、もうそろそろここを出よう。そう思って立ち上がる。がらがらと机からものさしが落ちていった。外は相変わらず夕方らしい。扉の前までいくと、足元の真っ白なものさしが目についた。目盛もない、真っ白なものさし。きっとこの部屋でなければものさしであることすらわからないだろう。だのに、わたしにはなぜか、もはや棒きれにしかならないこれがとても大切なもののように感じた。

 

「お前の方がずっと役に立ちそうだ。」
そう苦笑してポケットにそっとしのばせた。そして反対の手で扉を引こうとしたが、扉が全く動かない。ちらりと黒板を見る。何を使ってはかったって同じだろうに。そんな溜息をついた。

しばらくの思案の後、私は煩わしいと思いつつ口を開いた。
「そうだな…わたしは、ここにあるものさし達とおんなじさ。」
かたん。小さな音を上げて扉が開く。私は教室の散らばるモノサシを一瞥すると、次の教室に向かうのだった。

 

(*--)<わたしはじぶんというものがわからない。

 

noteにも掲載中。

 

この記事を共有する!