”雪の結晶はふたつとして同じ形をしているものがない”

その一節を読んだとき、なぜかあの人の姿が思い浮かんだ。行きつけの喫茶店で、いつも幸せそうに本を読んでいるあの人。その人とは一度だけ相席をしたことがあって、それ以来顔を合わせたら一言挨拶を交わす程度の仲なのにどうして彼女なのか自分でもわからない。

 

pixabayより
pixabayより

 

いつもあまりにも幸せそうに読むものだから、今日思い切って”今日和。何を読んでいるのですか”と聞いたら読んでいた本を貸してくれたので帰りの電車の中でパラパラ読んでいた。彼女の手にしていた本は中谷宇吉郎の著作集。雪の結晶の研究者らしく、科学にうとい僕にはわからないことも多かったが、著者の情熱や雪の幻想的な世界に少しずつ引き込まれていった。そのうち先ほどの動揺は頭の隅に押しやられたのだった。

「本、どうでした?」

寝不足でぼんやりしていると、身につけている青いベレー帽を傾かせて彼女は微笑む。彼女の柔らかい声と、店内のコーヒーミルの音にはっとして思わず答えてしまったのは”ああ、今の季節にはぴったりですね”と心のどこからでたのかさっぱりわからないとんちんかんなものだった。いぶかしげに少し顔を曇らせた彼女への決まりが悪くって”すみません、昨夜一晩読んでいたものだからぼうとしてしまって。”とだけ打ち明けて本を返すと、逃げるように持っていた自分の本に目をうつす。内容なんてまるで頭に入らなかった。

その日は不思議と会計のタイミングが同じだった。先に店を出た彼女が無邪気にはしゃいで手招きをする。会計を済ませてあわてて店を出るとひんやりとしたものが頬をつつく。

「見て、初雪ですよ。」
「本当だ、今年ははやいですね。」
「ええ。」

 

pixabayより
pixabayより

 

鞄から手袋を出してしばらく空を見る。雪をしばらく指先にあそばせていた彼女はふと思い出したように振り返った。

「そういえば雪って同じ形をしている物がないそうですね。」
ああ、そこは昨日15回くらい読みました。

「私それを知ったとき、不思議とあなたのことが思い出されました。」

ああ、それは私も、と心の中でいいかけて目を見開いた。頭の奥深くに無意識に隠されていた昨日のことがまた頭いっぱいに占めて、足を止めて彼女から目をそらし空を見る。

「それは…不思議ですねえ。」
「ね、可笑しいですよね。どうしてだろう。」

マフラーに顔をうずめた彼女が動揺する僕に気づかずに、”じゃあまた、”と手を振って何事も無かったかのようにイルミネーションが増え始めた街にあっという間に消えていった。

「僕も、どんなに綺麗な結晶も、世界にたった一つしかないと知って、貴女を思い出しました。」

雪の夜にひとり取り残されて、どこへともなくそう告白した。

 

ぱくたそより
ぱくたそより

 

 

この記事を共有する!