(前の句会はこちら

6月。実は私用でひとつめの句会に参加できず、メールで投句したのです。その関係で、今月はひとつめの句会にも添削がついています。

後日句会の記録が届いたのですが、流麗な字で一筆添えられていました。普段の生活で一筆箋をいただくことがほとんどないので、すごく新鮮でうれしかったです。私もいつかこういうのが似合う大人になりたいものだなあ。

 

 

ひとつめの句会

阿蘇山の草葉に横たえ星涼し
添削例→阿蘇山の草原に寝て星涼し

作ったときのこと:前回の阿蘇山の句でのリベンジです;

反応:「地震の後の少しほっとした様子がうかがえます」横たえがわかりにくかったよう。確かに今見返すとなんとなくすっと入ってこないですね。

 

九重連山の行く先天の川
添削例→天の川九重連山またぎけり

作ったときのこと:九重連山で作ろうと思って、天の川を連想した。と思ったらまず九重連山が文字数多くて「⁉」となった記憶が…。

反応:「できるだけ575で書きましょう。」

 

学友の文字また丸く梅雨の入り
添削例→学友の丸文字続く梅雨の入り

作ったときのこと:梅雨入りに友達に手紙をもらったことから。昔と変わらない丸い字がうれしくて。

反応:「また丸くがわかりにくいです。」「文字また丸く」→「丸文字続く」

 

お米かな子の目まあるく麦の秋
添削例→麦の穂を米かと聞かれ子らの午後

作ったときのこと:小学生の引率のバイトで田植え体験をしたことを思い出して。田植えにワクワクしている子どもたちが、金色に揺れる麦の穂をみて「あれがお米か!?」と喜んでいたので。私も「これが季語にある『麦の秋』かあ……。」とひそかにはしゃいでいました。

反応:「情景がわかりにくいようです。」

 

 

ふたつめの句会

阿蘇山の草葉に横たえ星涼し
添削例→阿蘇も見ゆ寝転ぶ空の星涼し

作ったときのこと:上に同じ。

反応:「”草葉に横たえ”が要推敲だねえ。」「阿蘇の草原に『星涼し』持ってきたのはいい。」

 

学友へ手紙したため梅雨の入り
→梅雨入りや友へ手紙をしたためて

作ったときのこと:「文字また丸く」がわかりにくいなと自分でも感じていて作り変えてみた。わかりやすくはなったけども、発見である「昔通りの友達の丸文字」は消えてしまった。

反応:「感じが出ていてよい。」

 

今回の句会では、全体として「みんなで味わえる俳句を作ることを心がけて」というお話がありました。「恋しい」「欲しい」「淋しい」「心開く」などの感情はテーマとしては他人と共有しずらい。時事問題も当時を知らないとわからない。俳句自体がわかりにくいともっと共有できない。

もちろんそういう句が悪いわけではない。それでも素晴らしい句はあるだろうし、チラシの裏や手帳にいくらでも書いて構わない。でも句会に持ってくる句は、句会のみんなが楽しめるものを意識してほしい。

先月の句会の話になってしまうのですが、ここまで懇切丁寧に教えてもらって、やっと先月の”阿蘇山の緑恋しく風薫る”がどうしてだめなのか心の底から納得がいきました。阿蘇に行ったことある人や熊本出身じゃないとこの感情はわからないんです。確かにこの句を選んでくださった方はいましたが、選評が「阿蘇の草千里のすばらしさを知っているから」でした。選んでいただけるのは本当にありがたいことです。ですが、テーマや単語が個人的に好きだからって理由で選んだり選ばれると、「俳句としてはどうなの?」って部分が無視されてしまうんですよね。作った身としては、もちろんうれしいのですがちょっと悔しくなります。

みんなで味わえる俳句を作ることを心がけて」。まだまだ俳句は難しくてわからないことも多いのですが、いろいろ言われる俳句の”ダメ”のエッセンスが詰まっている言葉だと感じました。

 

(*・ω・)<句会に持っていくのは、みんなで共有できるもの。となると、句会によって持っていくべき句は変わるのかなあ……?

 

 

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