ふとかんがみたら、もう3ヶ月ほど銭湯に行っていない。ここでいう銭湯は、ちょっとしたお出かけで行く温泉やスーパー銭湯ではなく、狭くて壁に富士山が描いてあって地元の人が通うようなご近所の銭湯のことだ。

 

このブログでも何度か話題に触れたけれど、私は疲れがたまったり、ストレスで困っていたり、逆流性食道炎の調子が悪い時に、近所の銭湯に行くようにしている。前の仕事が合わなくて困っていたときは週に3回は通っていた。なぜそれほど通っていたかというと、ご近所のいろんな方と話せることがありがたかったからだ。毎日同じ場所に行き、狭い世界に閉じ込められて思い悩むよりも、銭湯でひとっ風呂あびて、”近所に住んでいながら別の世界で頑張っている人”と話したほうが、よほど気が晴れたし、参考になった。

その後職場を変えて、疲れで時々調子が悪くなるものの、特に思い悩みすぎることもなくなったので、気が付けば銭湯に通わなくなっていた。

 

「人生で無理してまで頑張らなきゃいけないことなんてめったにないんだから。」って言ってくれたおばあさん。

「気遣いやさんが治ればきっと体調も良くなるわよ。あなた今も私に合わせて水風呂に長くいたでしょ。」っていってくれたおねえさん。

「やっぱり銭湯はいいわねえ。」という話だけ、顔を合わせるたびに一緒にするおばあさん。

「あら、久しぶりね。最近忙しかったの?」って顔を見たら声をかけてくれるおねえさん方。

「去年脳こうそくで倒れてね…不自由もあるけど、案外気楽でいい暮らししてるわよ」って教えてくれたおばあさん。

「普段サンフランシスコに住んでいて、明日向こうに帰るんですよ。」って向こうの話もしてくれたおねえさん。

「今日初めて来たんだけどここの銭湯もいいわね。」といってくれたおばあさん。

 

他にもいろんな人に会えて、いろんな話が聞けて、思い出せば思い出すほど”私はあの人たちに救われていたんだろうなあ”って痛感するし、感謝してもしきれない。特に何かしてもらったわけではなく、人と人のふれ合いで生まれる、小さな優しさの積み重ねで、少しだけ前向きな気持ちになれたんだと思う。

 

そんなことをつらつら思い出していると、あの銭湯の小さな湯船と、富士山と、黒いお湯と、そこにいる人たちが少し恋しくなった。なんで通わなくなってしまったんだろう。それが前よりも元気な証だとしても、あの銭湯が私にとって大切な場所であることには変わりないのに。

 

 

……明日は、銭湯に行こうかな。

 

 

 

 

 

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