春の季語に「猫の恋」という言葉があります。

この言葉は初めての句会で句を作って持って行ったくらい、ネタ帳として歳時記を使っていたころから好きなことばです。

 

 

「猫の恋」

猫の恋とは、春の初めに発情期を迎えた猫の様子のことです。発情期に鳴くのは主にオス猫ですが、個人的には実家にいたメス猫もときどき切なく鳴いていたのが思い出されます。実家の猫は、窓越しに芽吹き始めた春を眺めながら、ときどき甘く、あるいは激しく鳴いていました。

実家のメス猫に通ったオス猫は2匹いました。1匹は太っていていかにもふてぶてしいドラネコといった様子でした。もう1匹は、やせ細っていて気の弱そうな、でも鳴き声がとても透き通ってきれいな猫でした。家族はやはり後者の猫を気に入っていたのですが、最後に見たときには背中に大きな傷を負っていました。どこかでけんかに負けてしまったのでしょうか。それでも窓の外で真摯に恋情を訴えていました。そのときを思い出しての句が下の句です。

傷つくも瞳にごらず猫の恋 てんもんたまご

 

 

どんな句がある?

「ヒトの恋」と「猫の恋」の違いはどこにあるのでしょうか。私は「理性」と「野生」かな、と考えます。気持ちのままに、命のおもむくままに恋ができたら、と思っても実際はできないことが多いでしょう。そんなときに覚悟を決めて恋に生きる、佐藤春夫的な表現をすれば「情に殉ずる」生き方をする猫の恋がすこしまぶしく思えるのかもしれません。

 

麦飯にやつるる恋か猫の妻  芭蕉

どこで恋に破れたのかやせほそってしまった猫の姿が痛々しいです。でも悩むわけでもなく生きるためにご飯は食べるんです。そして飄々としてすぐ鳴きに行くんです。猫ってそういう生き物ですよね。

 

恋猫や世界を敵にまはしても 大木あまり

ヒトならたじろぐ恋でも、猫は気にしないのでしょう。ロマンチックな句です。

 

色町や真昼ひそかに猫の恋  永井荷風

永井荷風といえば江戸情緒ですが、「色町」と「猫の恋」ということばがいかにも江戸、という感じがします。色町を歩いていたら「真昼ひそかに」恋が展開していたことが発見なのでしょう。猫の恋ときくと激しくわめきなく様子を想像しがちですが「ひそかに」が意外だなあと個人的には感じました。

 

(*^・ω・^)<恋したくなったり恋したくなくなったり、人間は結構わがままなものね

 

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