前回から、持病持ちになって1年半がすぎました。たいして状況もよくならないまま自己嫌悪まっしぐらな私です。何人かにアドバイスをもらったのですが、それを活かせない自分がまた嫌で…と無限ループです。

そんななか、去年(2015)の10月ごろに諸事情で引越しをして今の場所に移りました。すると私の人付き合いに、ほんの少しだけの変化が起こりました。近所に銭湯があってそこに通っていたのですが、だんだんそこに通っている人と湯船や脱衣所で話し込むようになっていったのです。また今年(2016)の2月ごろから俳句関連でも急速にいろんな方と話す機会が増えました。

 

■もっといろんな人に出会おう!

結果的には、そんな人の縁がものすごくありがたかったです。いままで自分の身の回りにはいない人の意見がたくさん聞けたから。銭湯も句会も年齢層は高いです。でも私よりもずっと酸いも甘いも知っていて、「昔逆流性食道炎だった」「昔ストレス性の持病があった」人に出会うこともあるのです。そして直接の経験者でなかったとしても「知り合いにもそんな人がいた」といろいろ教えてくれました。

だれかひとりふたりの意見だけを聞いてまじめに幾晩も考え込むよりは、いろんな人生に触れていろんな意見を聞くほうがよっぽど気も楽でしたし、なんとなく意見が偏ったり、固執しないで済むかな、と感じたんです。

それからいろんな人に出会っていろんな声を聞くようように心がけました。ネットでもリアルでも。このブログもある意味その一環かもしれません。

 

■アドバイスされ続ける「性格を変えないと」

いろいろ聞いてわかったのは、たいてい「あなたがお利口すぎるのよ」みたいに「気遣いやさん」「優しすぎる」「まじめすぎる」といったことが言われることです。これはネットでもリアルでもそうでした。たぶん、ストレスをためやすい性格の特徴なのでしょう。

でもね「もっと気楽に生きていいのよ」っていわれたってどういうことなのかさっぱりです。というか正直性格を変えるってめちゃくちゃハードル高くない?(;´Д`)そういう知恵ってすぐ身につくものじゃなくて少しずつ探求していくものですからね。

 

■自分の性格を、否定せずに変えられるのか?

私の知見が狭いだけかもしれないけれど、これは簡単なことじゃないと考えています。「こんなんじゃだめだ。性格を変えなきゃ。」って考えそのものが今の自分に対する自己否定ですよね。でも自己否定にはまると心が追い詰められてストレスに弱くなっていってしまいます。

必要なのは「もう少しだけ素敵な人に近づこう」という考え方だったんじゃないかな、と今は考えています。

 

そもそも「気遣いやさん」「優しすぎる」「まじめすぎる」は否定されなければいけない性格なのでしょうか。一般的にはそれらの性格っていわゆる「いい性格」ですよね。でもそんな性格が自分の身体を蝕みかねないのも事実です。自分と同じようにストレスに弱い持病を持った人にも何人か出会いましたが、全体的に我慢強かったり、責任感が強かったり、本当に「いい人」たちばかりなんです。私なんかよっぽど無責任なのにって思うくらい。でもその時気づいたんです。私はどうしてほかの人のそういう性格は否定しないのに、自分は否定するんだろうって。

自分にとっては自分を蝕む嫌な性格でも、ほかの人は受け入れてくれる性格かもしれないのです。自分では受け入れられなくても、自分にとっての大切な人や尊敬する人がそれを受け入れてくれるなら?だったら今の自分を否定せずに、今よりも少しいい自分になろう。自分を客観的に見るというのは難しいことだけど、そういう発想の転換がひとつのとっかりだったのかな、と自分の経験では感じています。

 

 

次回は周りの人についてです。(予定)

 

 

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