「ああもう、息が詰まる!!」
わざとらしいため息を吐いてペンを投げ出した。子供っぽいと言えば子供っぽいかもしれない。いや、 わざとらしくため息を吐いたところでこの家には誰もいないのだからむしろ愚かなのだろう。視線を上 げると机の上は計算用紙で散らばり、床はボツした原稿用紙がところ狭しと散らかっていた。私の息を 詰まらせていたのは誰なんだか。他でもなく私だ。私はまたため息を吐きかけて、思い直して思いっき り吸い込んだ。直後にほこりを胸一杯に吸い込んでむせ返りごほごほと吐き出した。
「吸うなら、少しずつ、だな。」

重ったるい腰を上げて適当に目についた紙屑だけ丸めて投げる。もちろんそう都合よくごみ箱に入る わけでもない現実を目に収めるとコートをはおった。まだ日は高いがここ最近、日が落ちるとよく冷える。それでもおてんとさんのぬくもりはひしひしと感じられた。
枯葉が青空から降ってきて、ひらひらと目の前に落ちる。もうそんな時期か、とため息をついて目の前にいるとみゃう、と声の高い猫の声が聞こえた。道沿いの空き地のちょこんと小さな段ボールが置かれ、中には子猫。それも”拾ってください”という紙を添えて。おいおい、いまどきこんな猫の捨て方があるものか。そう心の中で突っ込もうとしたが子猫のつぶらな瞳と目が合うとそんな気もすぐに消え失せた。小奇麗な灰色の毛と柔らかそうな小さな耳、子猫にふさわしい大きな瞳。俺なんかよりもこんなに可愛げがあるのにな。
「お互い、つらいな。」

頭を優しくなでてやるともっとと言わんばかりに擦りつく。ごめんな。そう呟いて立ち上がると目の前で小学生達がわいわい駆け抜けていく。
「俺が赤レンジャー役やるんだい!君が敵役やってよ!」
「えーやだよー!僕だってレンジャーやりたいんだよ!だって一番かっこいいじゃないか!」
「僕だって赤レンジャーやるんだよ!」
「行くぞ!赤レンジャーの俺が町を救うんだ!」
「待ってよー赤レンジャーは僕だよー!」
飛行機のようにあっという間に走り去った小学生たちの背中を見る限りまだまだ主人公争いをしているようだった。

「ゆーこ進路決めた?もう私全然わかんなくってえー。」
土手から川を眺めていると後ろからそんな声が聞こえた。制服も着ているし女子高生の団体らしかった。私はまた川に視線を戻しうつらうつらしていた。川は太陽の光と青空を映してキラキラと輝いている。
「全然決まってないよー。17歳に人生決めろって方が無茶でしょー。」
「あいも全然わかんなーい。てゆーかやりたいこととか決まってる方がおかしいよねー。」
「だよねー。」
ああ、そういう時代だってきっと誰にでもあるよな…。そんなことをちらと思いながら日差しがただただ暖かくて私は目を閉じた。

ふと、身震いをして目を覚ますと太陽は目の前の川に沈みかけていた。空も雲もすっかり赤く染まり静かに眠ろうとしている。ああ、あの原稿明日までなんだがな。後悔しても仕方がない。起き上がり、身体についた草や土を払い落とすとぐーっと伸びをした。
すると横からまた女子高生たちが歩いてきた。さっきと比べると、帰り道で別れたのか、人数も半分くらいになったようだった。
「ゆーこたち高2の秋に進路決めてないとかやばくない?」
「だよねー。将来のこととか考えないのかな。」
「あいなんか今年の春からいろいろ見たりして考えてたのになにやってたんだろうね?」
遠くでカラスがなく。まあ、そういうこともあるよな。私はただただ受け入れてまた歩き出した。

風もずいぶん冷たくなった。上着の前をぎゅ、とにぎり閉じて足早に歩いていると、昼に見た小学生たちがまた駆けている。
「赤レンジャーの登場だー!!俺がこの町をまもーるー!」
「ふっふっふっ!だがここに第二の赤レンジャーが!」
「第三の赤レンジャーも!」
私の横をわいわいすり抜けて夕焼けの街へ消えて行った。ふと見上げると飛行機雲がゆっくりと伸びていき夕日を浴びて輝いていた。
『みゃう。』

飛行機雲を眺めて立ち止まっていた私を引き留めんばかりに猫の鳴き声がした。昼の捨て猫だった。つい半日前まで小奇麗だったのにすでにところどころ汚れて土のにおいがする。耳についた草を優しく払うとなんとなしにその子猫を抱き上げた。
「知ってるかい。この世界はどうしようもないことと面白いことがたくさんあるんだ。」
「みゃう。」

そしてまたふらふらと歩きだす。人の影はぐんぐん伸びて街はどんどんシルエットだけになってゆく。夜が近づいた世界で私の体温と子猫の体温だけが確かだった。道路の向こうに自宅が見えた。帰ったらまた執筆だな。明日までに終わらせないと。しかし。
「締切に関して以外は、今日はとてもいい日だったな!」
私は胸いっぱいに息を吸い込んだ。優しい世界を、闇に沈むこの世界を、すべて胸の中に収めるように。その刹那目の前にバイクが通り過ぎる。
「んぐ!?げほっげほっ…。」
排気ガスを胸いっぱいに吸い込んで、思わず私と子猫が咳き込んでごほごほと吐き出す。子猫の頬を撫で、苦笑した。
「吸うなら、少しずつ、だな。」

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